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東京地方裁判所 昭和26年(ワ)6260号 判決

原告 山田弘治 外一名

被告 京浜急行電鉄株式会社

一、主  文

被告会社は原告山田弘治に対し四十万円、原告山田ユキに対し三十五万円及びこれ等の金額に対する昭和二十六年十月二十七日から支払ずみに至る迄、年五分の金員の支払をせよ。

原告等その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告会社の負担とする。

この判決は執行前原告山田弘治に於て八万円、原告山田ユキに於て七万円、又は当裁判所がこれ等に相当すると認める有価証券を、担保として供託するときは、仮に執行することができる。

二、事  実

原告訴訟代理人は「被告会社は原告山田弘治に対し五十六万六千六百六十七円、原告山田ユキに対し四十三万三千三百三十三円、及びこれ等の金額に対する昭和二十六年十月二十七日から支払ずみに至る迄年五分の金員の支払をせよ。訴訟費用は被告会社の負担とする」との判決及び仮執行の宣言を求める旨申立て、その請求の原因として

山田芳松は原告弘治の父、同ユキの夫であつて、原告等の肩書住所に一緒に居住していた。同人は昭和二十五年四月十四日午前九時頃自宅を出て、勤務先横浜市西区紅葉ケ岡の東海運送株式会社に於て所用をすませ、同日午前十一時横須賀駅下車、被告会社の経営する横須賀発三崎行トレーラーバス神第四十万号に乗込んだ。偶々そのバスには岡田澄三郎が衣笠停留所に於て乗込み、進駐軍用ガソリン罐にガソリン五ガロンを入れ、これを南京袋で包み、外から荒縄で十文字に縛り、バスの殆ど中央部にある金属製柱から進行方向(南方)に向つて斜右三、一尺の個所に立ち、右側を向いて右側座席の前に、つり革のセルロイド製環を両手でつかんで立ち、その両足の間に、前記ガソリン罐をはさんで立つていた。その殆ど直前に、乗客関賢が座席についていた。右バスが午前十一時三十分頃、林停留所(衣笠停留所から三つ目)を発車、旧海軍武山海兵団(当時は進駐軍兵舎)の東北隅にある赤煉瓦信号所(横須賀市林二千百三十三番地石渡製材所前附近)にさしかゝつた際、バスの後部昇降口車掌井関信江は乗客から「火事だ」「大変だ」という叫び声を聞き、澄三郎の立つていた前記位置に、乗客の間を通して、火焔が床上約二尺の高さにあがつているのを認めた。後部昇降口にはブザーがないので、信江は直ちに昇降口のドアを開けようとしたところ、乗客が押寄せステツプに入り込んだので、これを開くことができなかつた。同人は「ステツプから上らなければドアは開かない」と言つて、乗客をステツプから上げさせ、辛うじて停車する直前ドアを開いた。前部昇降口の車掌鳥井ハツ江は、大体赤煉瓦信号所附近に於て、乗客の叫び声を聞き振り返つたところ、前記位置に、高さ二尺の火焔を見出した。直ちにブザーを鳴らし、バスは右海兵団正門前から北方約七八十米の地点に於て停車したが、前部昇降口にも乗客は殺到し、ステツプに立入つたので、ドアを開くことができなかつた。辛うじて乗客をステツプから上げさせ、ドアを開いた時は、停車と殆ど同時であつた。右バスの座席の定員は四十四名で、当時座席は満員、バスの中央から後部にかけて約十数名の乗客が立ていた。澄三郎はガソリン罐に引火するや、それを抱えて後部昇降口から出ようとしたけれども、乗客が押寄せているので、脱出できず、引返して前部昇降口に至つたが、そこでも混雑の為脱出できず、自分が立つていた前記位置から前方約六、五尺の位置に於て、熱さに堪えかねてガソリン罐を前方に向け、車体の高位部分(前部昇降口から前の部分)に投出した。それ迄ガソリン罐は、南京袋に浸み出したガソリンが燃えていたに過ぎなかつたが、投げ出されると共に、罐の口は開き、内部のガソリンは進行方向に向つてドツと奔出し、それに引火した為、火焔は車体高位部分を中心として拡大した。その間或る乗客がバス後部正面の窓ガラスを破壊した為、強力な北風がその破壊口からバスの内部から前方に吹つけたので、火勢は愈々猛烈となり、高位部分は火焔と濛々たる黒煙とに蔽われ、そこに居た山田芳松は他の乗客十八名と共に、脱出不能に陥り、遂に数分の内に焼死又は窒息死をとげるに至つた。右の致死の結果は被告会社の被用者及び被告会社自身の次のような過失に基くものである。

(一)  後部車掌井関信江及び前部車掌鳥井ハツ江の過失

(1)  右両名は岡田澄三郎がバスの内にガソリン罐を持込むことを拒まなければならなかつたに拘らず、これを発見することすらできなかつた。

(2)  右ガソリン罐の蓋は完全に閉つていなかつたので、ガソリンが南京袋に浸み出し、バス内はガソリンの臭が充満して居り、右両名はそれを覚知していたに拘らず乗客中にガソリンを携帯する者がいるかどうかを点検し、もしそれを発見した場合には、遅滞なくそれを車外に搬出するが、その乗客を降車せしめるような措置をとるべき義務があるに拘らず、そのような措置はとらなかつた。

(3)  右のガソリン罐は、乗客関賢の煙草のすい殻又は点火したマツチから引火したものであるか、右両名は同人が喫煙するのに気がつかなかつたし、従つてそれを制止することをしなかつた。

右(1) (2) の注意義務は、道路運送法第二十九条第一項一般乗合旅客自動車運送事業者の事業用自動車を利用する旅客は、他の旅客に危害を及ぼすおそれがある物品、若しくは他の旅客の迷惑となるおそれがある物品であつて、運輸省令で定めるものを、自動車内に持込み、又は走行中の自動車内で、みだりに自動車の運転者に話しかけ、その他運輸省令で定める行為をしてはならない。自動車運送事業運輸規程昭和二十三年五月七日運輸省令第十一号第二条「自動車運送事業における運転に従事する係員は、運輸につき安全確実及び迅速を旨とし、旅客又は荷送人に対し公平且懇切に、その職務を行わなければならない。」第六条「旅客又は荷送人は、係員の職務上の指図に従わなければならない。」第二十一条、「自動車運送事業者は道路運送法第十九条に別段の規定がある場合の外、左の場合には運送の引受を拒絶することができる。一旅客自動車運送事業にあつては、左に掲げる場合((1) (2) 略)(3) その他旅客に迷惑を及ぼす慮のある者が乗車しようとするとき。」(以下略)第二十二条「左に掲げる物品は旅客自動車の車内に持込むことができない(一、二略)三、火薬類(少量の銃用火薬類又は緩燃導火線を除く)その他旅客に危害を及ぼす慮があるもの」という各規定から当然生じるものである。これが為井関信江は昭和二十六年三月二十八日横浜地方裁判所横須賀支部に於て、業務上過失致死傷罪により、禁錮三月二年間執行猶予に処せられ、昭和二十七年六月十七日控訴棄却、その後上告棄却の判決が言渡され、右禁錮刑は確定し、同人に業務上の過失があることが確定された。

(二)  被告会社の過失

(1)  前記車体の窓枠には鋼鉄製の手すり棒が二本あり、その外側の上下二枚の窓ガラスは、その下のガラスを上に上げると、その下縁の枠が、右二本の手すり棒の中間を占め、乗客が非常の際窓を破つて脱出することができなくなる。それが為本件に於ては、乗客は恰も魚が金網の中で焼かれるように焚殺されたものであつて、これは車体構造上の重大な過失である(手すり棒はその後、運輸省の指示により上部に一本のみ設置することになつた)。

(2)  前後部の昇降口の屈折式ドアは、進行方向にむけて屈折して開く構造であるので、乗客が殺到したときは、乗客によつてこれを開くことができない。これも車体構造上の過失である。

(3)  後部昇降口にはブザーの設備がなかつた。それが為後部車掌は、前部車掌に声で非常を連絡し、前部車掌がブザーで運転者に連絡しなければならないので、寸秒を争う非常の際に於ては、連絡に時間がかゝり、損害の拡大を防止し得ないことは見易い理である。

(4)  禁煙の標示としてバス内前方正面ガラス窓の上に、長径三寸七分、短径二寸四分の楕円形金属製マークが一個あつたのみであるから、車内禁煙の趣旨を乗客に徹底せしめるに不十分であつた。

(5)  消火器は運転台に一個備付けてあつたのみで、しかもそれはエンジンがシヨートした場合に用いる小型のものであり、本件のようなバス内の出火については全然顧慮が払われていなかつた。

そして右事故は被告会社の営む一般乗合旅客自動車運送事業の執行につき発生したものであるから、被告会社はその自身の過失及び右車掌両名の過失により発生した芳松の死亡につき原告等にその蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

芳松は東海運送株式会社に勤務し、同会社所有の「暁丸」の船長の職にあり、相当な社会的地位を保ち職務に精励格勤、技能は老練であり、同会社から給料その他で、一カ月平均一万六千円の収入を得ていた。その内税金千円及び同人の食費生活費二千円を控除すると芳松は一カ月一万三千円一カ年十五万六千円の収入を得ていた筈である。同人は死亡当時満五十二才で、厚生大臣官房統計部発表の統計によれば、同人の生存余命数は十五カ年はあるから、満六十才迄船長の職に勤務することは可能であり、右一カ年の推定収入の八カ年分は百二十四万八千円に達する。同人は長男原告弘治の外に子がなく、原告弘治に相当な教育を施し、将来一人前の船長に仕立てようとして新制高等学校に入れ、同原告は当時二年生であつた。しかるに、芳松が死亡した為、同原告は学資を続けることができず大学に進む意思を放棄しければならなくなつた。原告山田ユキは、自分の職業の収入というものはなく、全く夫芳松に依存していたのであるが、同人の死亡により精神的な支柱を失い、その苦悩は言語に絶するものがある。養父金太郎は明治四十二年三月二十六日、原告ユキを養子とし、大正十四年三月三十一日ユキと婚姻せしめる為、芳松と婿養子縁組をなしたのであるが、長年盲で起居に不自由を極め、芳松死亡当時七十三才であつた。そして同人の死亡を聞き、悲しみの余り肝臓炎腹膜炎大腸炎を発し、昭和二十九年三月二十六日死亡し、原告ユキが同人の唯一人の相続人となつた。

被告会社は資本金二億円を以て、一般乗合旅客自動車運送事業を営む株式会社であるが、原告弘治は、芳松が満六十才迄船長の職にあるとして、東海運送株式会社から支払を受け得たであろう。前記給料その他の推定収入合計百二十四万八千円の三分の二の相続分、八十三万二千円からホフマン式計算方法により中間利息を控除した金額の内、四十六万六千六百六十七円(円位未満切上げ)及び同人の不慮の死によつてうけた精神的打撃に対する慰藉料十万円、合計五十六万六千六百六十七円、原告ユキは芳松の前記推定収入百二十四万八千円の三分の一の相続分、四十一万六千円からホフマン式計算方法により中間利息を控除した金額の内、二十三万三千三百三十三円(円位未満切捨て)及び同人の死によつてうけた精神的打撃に対する慰藉料十万円、金太郎が婿養子である同人の死によつてうけた精神的打撃に対する慰藉料十万円の全額相続分、以上合計四十三万三千三百三十三円並びにこれ等の金額に対する本件訴状副本が被告会社に送達せられた日の翌日である昭和二十六年十月二十七日から支払ずみに至る迄、民法所定の年五分の遅延損害金の各支払を求める為本訴各請求に及んだ。

被告等の(一)の抗弁については、岡田澄三郎が被告会社主張のような刑に処せられ、その刑がその主張のように確定したことは認めるけれども、その他の(一)及び(二)の主張事実は全部不知又は否認を以て争うと述べた。<立証省略>

被告会社訴訟代理人は、「原告等の各請求を棄却する」との判決を求め、原告等主張の事実中、山田芳松が原告弘治の父同ユキの夫、金太郎の婿養子であること、芳松が昭和二十五年四月十四日午前十一時横須賀駅前から、被告会社の経営する横須賀発三崎行トレーラーバス神第四十万号に乗込み、原告等主張の経過により、岡田澄三郎の搬入したガソリン罐から発火し、火勢が拡大し、芳松がそのバス内に於て死亡するに至つたこと、その後部昇降口車掌が井関信江、前部昇降口車掌が鳥井ハツ江であること、鳥井ハツエが岡田澄三郎がガソリン罐をバス内に搬入することに気がつかず、同人及び井関信江に於て、これを車外に搬出するか、澄三郎を下車せしめることをしなかつたこと、関賢が喫煙していたとすれば、右両名がそれに気がつかず、それを制止しなかつたこと、右トレーラーバスの車体の窓枠、手すりの位置(但しその前方高位部分には手すりは一本しかなかつた)、屈折式ドアの構造、「禁煙」のマークの形態位置、消火器の個数位置が、それぞれ原告等主張の通りであること、井関信江が原告等主張のような刑に処せられ、その刑が確定したことバス内の手すりが、その後運輸省の指示により一本に改められたこと、被告会社がその資本金を二億円、一般乗合旅客自動車運送事業を営むことを目的とする株式会社であり、井関信江鳥井ハツ江がその被用者であることはいずれも認めるけれども、右車掌両名及び被告会社自身に、原告等主張のような過失があつたことは全部これを否認する。右車掌両名は、バス内にガソリンの臭がしていることを覚知していなかつたし事実バス内はそのような臭はしていなかつた。前記バスの窓枠及び手すりの構造上乗客が、その間から外に脱出することは不可能ではなく、現に乗客数名は下部手すりと窓枠の間から脱出している。屈折式ドアを進行方向と反対に屈折して開くように取つけることは、車掌が惰力に反してドアを引寄せねばならないことになるから、開く事が反つて困難となる。後部昇降口にブザーを取つけるときは、反つて運転者に信号の混乱を生ぜしめるから、望ましい結果は得られない。

その他の原告等主張の事実は全部知らない。

抗弁として、(一)、本件事故は岡田澄三郎の重大過失のみによつて発生したものであつて、右車掌両名及び被告会社には何等過失はない。岡田澄三郎の重過失は、同人が昭和二十六年三月二十八日横浜地方裁判所横須賀支部に於て、臨時物資需給調整法違反、重失火重過失致死傷罪により禁錮二年六月及び罰金五千円に処せられ、その後右刑が確定した事実によつても明である。前記バスの窓枠の構造については、被告会社は運輸省道路管理事務所の車体検査をうけ、それに合格しているから、被告会社に過失ありということはできない。消火器は、仮に原告等主張のようにバス内にあつたとしても、当時の火勢は極めて猛烈であり、到底消火器で鎮火せしめ得べきものではなかつた。これを要するに、芳松その他の乗客の致死の結果は、不可抗力に因るものであるから、被告会社には原告等に対する損害賠償の義務はない。

(二)、仮に右車掌両名に何等かの過失があるとしても、被告会社は、車掌の採用については、本社自動車部事務課が学術試験及び身体検査をし、合格者を各営業所に配属せしめ、そこで接客の態度、車内に於ける勤務、金銭取扱い方等を教示し、「車掌の友」という刊行物一冊を読ましめ、古参の車掌を附添わせて二十日から三十日間実習をさせ、事務主任が独乗の資格ありと判定して、始めて独乗させている。その後も一カ月に一度、座談会を開き、車掌として守るべき注意事項を周知徹底せしめている。

それ故、被告会社は前記車掌両名の選任監督につき、相当の注意を払つたから、原告等に対し損害賠償の義務がない。と述べた。<立証省略>

三、理  由

山田芳松が昭和二十五年四月十四日午前十一時頃、横須賀駅前から被告会社の経営する横須賀発三崎行トレーラーバス神第四十万号に乗込んだこと、そのバスに岡田澄三郎が衣笠停留所に於て乗込み、進駐軍用ガソリン罐にガソリン五ガロンを入れ、これを南京袋で包み、外から荒縄で十文字に縛り、バスの殆ど中央部にある金属性柱から、進行方向(南方)に向つて斜右約三、一尺の個所に立ち、右側を向いて右側座席の前につり皮のセルロイド製環を両手でつかんで立ち、その両足の間に前記ガソリン罐をはさんで立つていたこと、その殆ど直前に、乗客関賢が座席についていたこと、右バスが午前十一時三十分頃林停留所(衣笠停留所から三つ目)を発車、旧海軍武山海兵団(当時は進駐軍兵舎)の東北隅にある赤煉瓦信号所(横須賀市林二千百三十三番地石渡製材所前附近)にさしかゝつた際、後部昇降口車掌井関信江が乗客から「火事だ」「大変だ」という叫び声を聞き、澄三郎の立つていた前記位置に、乗客の間を通して、火焔が床上約二尺の高さにあがつているのを認めたこと、後部昇降口にはブザーがないので、信江は直ちにその昇降口を開けようとしたところ、乗客が押寄せ、ステツプに入り込んだので、これを開くことができなかつたこと、同人が「ステツプから上らなければドアが開かない」と言つて、乗客をステツプから上げさせ、辛うじて停車する直前ドアを開いたこと、前部昇降口の車掌鳥井ハツ江が大体右赤煉瓦信号所附近に於て、乗客の右叫び声を聞いて振返り、澄三郎の前記位置に、高さ二尺の火焔を見出し、直ちにブザーを鳴らし、バスは前記海兵団正門前から北方約七八十米の地点に於て停車したこと、前部昇降口にも乗客が殺到し、ステツプに立入つたのでドアを開くことができず、乗客をステツプから上げさせ、ドアを開いた時は、停車と殆ど同時であつたこと、右バスの座席の定員が四十四名で、当時座席は満員、バスの中央から後部にかけて約十数名の乗客が立つていたこと、澄三郎がガソリン罐に引火すると、それを抱きかゝえて、後部昇降口から出ようとしたけれども、乗客が押寄せていたので脱出できず、引返して前部昇降口に至つたが、そこでも混雑の為脱出できず、自分が立つていた前記位置から前方約六、五尺の位置に於て、熱さに堪えかねて、ガソリン罐を前方に向け、車体の高位部分(前部昇降口から前の部分)に投出したこと、それ迄ガソリン罐は、南京袋に浸み出したガソリンが燃えていたに過ぎなかつたが、投げ出されると共に、罐の口が開き、内部のガソリンが進行方面に向つてドツト奔出し、それに引火した為、火焔が車体高位部分を中心として拡大したこと、その間或る乗客がバス後部正面の窓ガラスの破壊した為、強力な北風がその破壊口からバスの内部から前方に吹つけたので、火勢が愈猛烈となり、高位部分が火焔と濛々たる黒煙とに蔽われ、そこに居た芳松が他の乗客十八名と共に、脱出不能に陥り、数分の間に焼死又は窒息死を遂げたことは、当事者間に争ないところである。

さて原告等は、芳松の死亡は右バスの車掌井関信江鳥井ハツ江及び被告会社自身の過失に基くものであると主張するから、この点につき判断する。前部昇降口車掌鳥井ハツ江が澄三郎が衣笠停留所に於てガソリン罐を車内に搬入することを気附かず、同人及び後部昇降口車掌井関信江が、これを車外に搬出せしめるとか、澄三郎を下車せしめる措置をとらなかつたこと、右両名が乗客関賢が喫煙しているのに気がつかず、それを制止しなかつたことは、被告会社の自白したところである。

次にその成立に争のない甲第四第七号証同第九号証の二ないし四、六ないし十一の各記載証人野沢千代子同竜崎啓司同尾崎英雄の各証言によれば、澄三郎は右ガソリン罐の口の掛け金を一方だけ掛け、他の一方は完全に掛けていなかつた為、ガソリンは同人の歩行中から徐々に外側に南京袋に浸み出していたので、衣笠停留所に於て前記バスに前部昇降口から乗車する時には既にその臭がして居り、その後バスの動揺につれ、ガソリンの浸出量は次第に増し、バス内はガソリン臭に満ち、進駐軍兵士はバスの天井に取つけられた換気孔を開放し、それと同行していた或る日本人女性はその臭気に堪えかねて、林停留所に於て降車し、乗客である三崎高等学校生徒松井節子はガソリンの臭気で気持が悪くなり、一騎塚の停留所で降車しようとしたが、その日午後から学校で身体検査が行われることを思い出した為、下車を断念したこと、ガソリンの臭は、乗客野沢千代子、竜崎啓司、長谷川ミヨ、蛭田金治、鈴木直八、鈴木春蔵、二見親義、浜野善一郎のみならず、車掌井関信江、鳥井ハツ江自身も感知し、野沢千代子の如きは、頭痛をすら感じたこと、右ガソリン罐への引火は、澄三郎の前の座席についていた関賢の喫煙の火気によるものであることが認められる。

更に前記甲第九号証の三、四、六の各記載及び証人井関信江同鳥井ハツ江の各証言によれば、井関信江は前記火焔を認めたが、鳥井ハツ江に対し火焔の発生したこと及び運転者に停車の非常信号を送るべきことを告げず、乗客が後部昇降口に殺到し、長谷川ミヨその他の乗客が同人に対し、後部昇降口のドアを開けることを何度も頼んだが、同人は顔色蒼白となりバスの進行中ドアを開くことは危険と考えたのかドアに手をかけた儘それを開こうとしなかつたことが認められる。

その成立に争のない甲第九号証の五ないし七、乙第一号証の八の各記載、証人富永又吉同杉山長一同野本シマ子同尾崎英雄の各証言、本件事故発生現場検証の結果によれば、前記トレーラーバスの運転台には、富永又吉が運転者として操縦して居り、そこには元車掌で、その頃被告会社の三崎営業所の外発係として通勤していた野本シマ子(旧姓鳥村)が同乗していたが、乗客杉山長一及び加藤某は火を発見するや、バス前方正面の窓を打破り、野本シマ子に「止めろ」と絶叫し、同人が富永又吉に「大変だ」と怒鳴つたので、富永又吉は始めバスの内部に火災が発生したと思わず、エンジンがシヨートしたと思つて急ブレーキをかけ、前記停車位置に停車したこと、それが為、当時のバスの時速二十五粁に於て急ブレーキをかければ、十数米を以て停車し得るに拘らず、前記バスは火焔が発見された赤煉瓦信号所から約六、七十米前進して停車したこと、鳥井ハツ江が富永又吉に送つたブザーは、四つ以上の正確な非常信号ではなく、継続して四秒以上鳴らされたものであつたこと、前記甲第七号証同第九号証の三、四、七、九ないし十一の各記載、証人竜崎啓司の証言によれば、ドアの開放は火焔の発生直後、即ち乗客が後部昇降口に殺到する以前には可能であり、その余裕もあつたこと、そして仮に前記バスの停車措置が速急に講ぜられ、速力が落ちたときにドアが開かれたとしたならば、もつと多数の乗客が飛降りること(たとえ多少の負傷は免れないとしても)が可能であり、被害者の死亡はもつと少くてすんだかも知れないこと、現に乗客長谷川ミヨは、停車前に押出されるようにして飛降り、右手の骨を折り、掌に負傷し、乗客鈴木直八、鈴本春義、二見直義、浜田喜一郎も停車前に飛降り、若干の負傷だけですんだこと、右事故による火傷その他の重軽傷者は二十九名に達したことが認められる。

「禁煙」の標示としては、バス内前方正面ガラス窓の上に、長径三寸七分短径二寸四分の惰円形金属製マークが一個あつたことは、当事者間に争ないところである。しかしながら証人石川己之助同金城タケ子同竜崎啓司同杉山長一同尾崎英雄の各証言によれば、乗客石川己之助は乗車当時右のような禁煙のマークには全然気がつかなかつたし、この路線の被告会社経営のバスの内部では、本件事故の発生前には相当喫煙する者があつたのであるが、(杉山長一は以前この路線のバス内に於て喫煙したことがあつた)、乗務車掌はこれを阻止した事がなく、発生後は被告会社から喫煙が厳禁されていることが認められる。この事実からすれば被告会社は、車内禁煙の趣旨を周知徹底せしめる点に於て万遺漏なかりしものということを得ない。

以上の各認定に反する部分の甲第九号証の五の証人富永又吉の供述記載、乙第一号証の五、八の関政勝井関信江の各供述記載証人井関信江同鳥井ハツ江同杉山長一同長谷川要同川名勘蔵同島田松雄の各証言は、当裁判所が前記採用した証拠資料に照し、措信しないところであつて、他にこれを左右するに足りる証拠資料はない。

次に前記バスの低位部分の窓枠に、鋼鉄製の手すり棒が二本あり、その外側の上下二枚の窓ガラスは、その下のガラスを上に上げると、その下縁の枠が右二本の手すり棒の中間を占める位置にあつたこと、消火器は運転台に一個あるのみで、バス内部には全然備付けてなかつたことは、被告会社の自白したところである。そして証人石川己之助の証言、本件バス検証の結果及び検証調書添附の写真「当時のバス(一)」によれば、右バス高位部分に於ても手すり棒は二本あつたことが明であり、前記甲第九号証の五、七成立に争のない乙第一号証の二ないし四、六の各記載証人杉山長一同山田保同尾崎英雄の各証言によれば、乗客杉山長一山田保蛭田金治加藤春次笹本良夫井本初太郎は、いずれもバスの左右又は正面のガラス窓を破り、前記手すり棒の下から脱出したこと、若干名はバス外の者が窓枠と手すり棒の間から外に引ずり降したことが認められ、下の手すり棒とガラス窓の下枠との間隔は六寸五分あるから、平常であれば特に肥満した人でない限り、その部分から車外に脱出することは可能である筈であるけれども、本件のように瞬間的に火勢が拡がり、且つ乗客が周章狼狽右往左往して、いずれも大なり少なり火傷を負い、混乱の極に達して居るときには、さような慎重な措置は、証人富永又吉の同趣旨の証言をまつ迄もなく可成困難であつたといわなければならない。

又証人富永又吉同野本シマ子の各証言によれば、運転手台にあつた一個の消火器は、エンジンがシヨートした場合に用いる為に備付けてあつたもので、右バスの火災には富永又吉がそれを用いて必死の努力をしたが、鎮火には殆ど効を発しなかつたことが認められる。

以上掲記の事実からすれば、被告会社はバス内の手すりの前記のような構造及び消火器の設置については、バス内に於てガソリン火薬等の発火により、車内が火焔に包まれ、乗客がいかにして車外に脱出するか、又その消火方法について、特段の注意を払つていなかつたものと推認せざるを得ない。

前記バスの後部昇降口にブザーの設備がなかつたことは、被告会社の自白したところである。後部昇降口にブザーの設備がない場合、そこで勤務する車掌が、前部昇降口の車掌に肉声で危険を告知し、停車を要求することは、本件のようにバス内の混乱がその極に達した場合には、前部車掌に徹底しないことも想像し得られるのみならず、前部車掌が更に車体を異にする運転者に停車の非常信号を発することは、後部車掌が直接ブザーを以て、運転者にその信号を発するに比し、数秒の距たりがあるべきことは、争えぬところといわなければならない。被告会社はこの点に於ても過失ありといわなければならない。

原告等は前後部昇降口の屈折式ドアは、進行方向に向つて屈折して開く構造になつている為、乗客が殺到したとき、これを開くことができず、その点に於て被告会社は車体構造上の過失があると主張するけれども、当裁判所は、進行方向に向つて屈折して開く構造の方が、寧ろその反対の構造よりドアを開くに適していると認めるから、右の点に於ては、被告会社の過失を認めることはできない。

しかしながら、他面その成立に争のない乙第一号証の一、八の各記載証人石川己之助同井関信江同鳥井ハツ江の各証言によれば、前記バスの乗客は徒らに周章狼狽、一時に前後部昇降口に我れ先にと殺到し、ステツプに立入つたので、右車掌両名はこれを退かせてドアを開放するに、若干の時間を要したことが認められるから、死亡した被害者が脱出し得なかつた事については、乗客自身の過失も競合しているということができるように思われる。

以上を要約するに、前後部車掌両名に共通する過失としては、両名がバス内のガソリン臭に気附きながら、ガソリン罐の所持者を見出し、ガソリン罐の所持者を降させるか、若しくはそれに引火しないような特別な注意を払う義務乗客関賢の喫煙を発見し、これを阻止すべき義務があつたに拘らず、それを果さなかつたことがあげられ、

後部車掌井関信江の過失としては、同人は前記ガソリン罐からの火焔を認めながら、鳥井ハツ江に対し、至急大声を以てそれを告げ運転者に停車の非常信号を送らしめることをせず、長谷川ミヨその他の乗客が同人に対し、後部昇降口のドアを開くことを頼んだに拘らず、バス進行中の開扉を危険と考えてか、ドアに手を掛けた儘これを開こうとしなかつた。ことがあげられ、

前部車掌鳥井ハツ江の過失としては岡田澄三郎が衣笠停留所に於て乗車する際、ガソリン臭のあるガソリン罐を持込むことを阻止すべき義務(この注意義務は、道路運送法第二十九条第一項昭和二十三年五月七日運輸省令第十一号自動車運送事業運輸規程第二十一条第一項第三号第二十二条第三項第二条第六条から導き出される)があるのにこれを果さず、前記火焔に気附いた後、運転者富永又吉に送つたブザーは、正規の非常信号ではなく単なる継続したブザーであつたことがあげられ、

運転者富永又吉の過失としては、鳥井ハツ江から送られた信号が非常ブザーではないが、四秒位継続して鳴つたに拘らず、後部のバスに注意を払おうとせず、乗客杉山長一加藤某がバス正面のガラス窓を破つて、停車を命じたのを野本シマ子が聞き、同人から注意されて始めて急ブレーキをかけたこと(その為二十五、六粁のスピードを出している際、急ブレーキをかければ、十数米でスリツプして停車し得られるのに、本件に於ては、火焔が発見された駐留軍兵舎内赤煉瓦信号所から約六、七十米進行して停車した)があげ得られる。そして車掌井関信江、鳥井ハツ江がいずれも被告会社の被用者であり、被告会社が一般乗合旅客自動車運送事業を営む株式会社であることは、被告会社の自白したところであつて、富永又吉が前記バスの運転者であつたことは、前段認定の事実により明であるから、同人も被告会社の被用者といわなければならない。そして本件事故が被告会社の営む一般乗合旅客自動車運送事業の執行に付き、発生したものであることは多言を要しない。

被告会社の過失としては、車内禁煙の趣旨を乗客に周知徹底せしめる上に於て、バス内部正面ガラス窓の上部の金属製マーク一個は少なすぎたこと、本件事故発生前は乗務車掌をして禁煙を励行した形跡が見えないこと、バス内に消火器の設備が全然なかつたこと、後部昇降口に運転者と連絡すべきブザーの設備がなかつたこと、バス内ガラス窓に設けられた二本の手すり棒が、乗客の脱出を著しく困難ならしめたことがあげられ得るが、これ等の注意義務は被告会社のような道路運送に関する秩序及び公衆の安全を保ち以て公共の福祉を増進すべき義務を有する一般乗合旅客自動車運送事業経営者が、当然守らなければならない義務というべきであつて、かような義務に違反したことは、被告会社の過失を構成するものといわなければならない。

次に被告会社の抗弁につき順次判断する。

被告会社は、本件事故は、岡田澄三郎の重過失のみによつて発生したものであつて、井関信江、鳥井ハツ江及び被告会社には何等の過失なく、その発生は被告会社として不可抗力であると主張するから、この点につき判断する。岡田澄三郎が昭和二十六年三月二十八日横浜地方裁判所横須賀支部に於て、臨時物資需給調整法違反、重失火重過失致死傷罪により、禁錮二年六月及び罰金五千円に処せられ、その後右刑が確定したことは、当事者間に争のないところである。そして証人稲葉将司の証言によれば、前記バスは運輸省の車輛検査に合格したことが認められる。しかしながら、運輸省の車輛検査に合格したことが、被告会社が私法上右バスの構造について払うべき注意義務を免れしめるものと判断することはできない。現にバス内の手すり棒は、その後運輸省の指示により一本に改められたことは、被告会社の認めるところであり、その事実からすれば、右の論理は首肯し得られるであろう。被告会社は仮にバスの内部に消火器の備付けがあつたとしても、当時の火勢は極めて猛烈であつて、到底消火器で鎮火せしめ得べきものではなかつたと主張するけれども、当初南京袋に浸み出たガソリンが発火した頃に於て仮にバス内の消火器を迅速に用い得たとしても、なお本件のような大きな事故がその発生を免れなかつたであろうとは、何人と雖も断言し得ないであろう。尤も岡田澄三郎の重過失及び前記関賢のバス内喫煙が、本件事故の発生並びに拡大につき、相当大きい比率を占めることは、当裁判所として決して否定するものではない(この点については後述)。結局被告会社は不可抗力を以て、その抗弁となすことを得ないといわなければならない。

次に被告会社は車掌井関信江、鳥井ハツ江の選任監督につき、相当注意を払つたから被告会社には、原告等に対する損害賠償の義務はないと主張するから、この点につき判断する。

証人長谷川要同川名勘蔵同島田松雄同井関信江同鳥井ハツ江の各証言によれば、被告会社に於て車掌を採用する場合は、本社自動車部事務課が応募者に学術試験身体検査をし、合格者を各営業所に配属せしめ、接客の態度勤務方法、乗客の荷物に対する注意、料金の取扱等につき教示し、「車掌の友」という刊行物を一冊ずつ与えて読ましめ、古参の車掌を附添わせて、二十日ないし三十日間実習をさせ、事務主任が独乗の資格ありと判定して始めて独乗させているのであつて、右車掌両名もその例に漏れなかつたこと、被告会社ではその後も一カ月に一度、座談会や懇談会を開き、車掌として守るべき注意事項を周知徹底せしめていること、井関信江、鳥井ハツ江は被告会社から危険物の持込車内の喫煙を阻止するよう命じられていたことが認められるのであるが、車掌井関信江、鳥井ハツ江に於て前段判示のような過失を犯し、多数の死傷者を発生せしめた以上、被告会社が右両名の選任監督につき、相当の注意を払つていたということはできない。それ故被告会社の右抗弁はこれを採用しない。

して見れば被告会社は、芳松の死亡に因り、原告等に蒙らしめた損害を賠償しなければならぬといわなければならない。

そこで原告等の蒙つた損害につき判断する。芳松が原告弘治の父、原告ユキの夫、金太郎の婿養子であることは、被告会社の自白したところである。原告ユキ本人尋問の結果によれば、芳松は東海運送株式会社に勤務し、同会社所有の「暁丸」の船長の職にあり、一カ月に給料その他で一万二千円から一万六千円の収入があつたことが認められる。従つてその収入を一カ月平均一万四千円と見積るとして、原告等はその内から税金約千円、同人の食費生活費二千円を控除しなければならぬと自陳するから、右合計三千円を控除すると、芳松は一カ月一万千円、一年につき十三万二千円の収入を得ていたということができる。そして成立に争のない甲第六号証の記載によると、厚生省大臣官房統計調査部が発表した昭和二十三年簡易生命表を信頼するとすれば、年齢五十年ないし五十四年の者は、二一、五年の平均余命を有することが明である。原告等は、芳松は東海運送株式会社に尚八年間船長として勤務し得ると主張し、この点については、これを認めるに足りる証拠資料はないのであるが、原告ユキ本人尋問の結果によれば、芳松の身体は壮健であつたことが認められ、同人が東海運送株式会社から近い将来に於て罷免されたであろうような特段の事情の認むべきもののない本件に於ては、芳松はその後少くとも八年間、右株式会社に船長として勤務し得たものと推認せざるを得ない。そうすると芳松の右八年間に亘る推定収入の全額は百五万六千円に達することが明である。

しかしながら、本件事故発生の原因に於て、前段判示した車掌井関信江、鳥井ハツ江運転者富永又吉及び被告会社自身の過失に比し、岡田澄三郎及び関賢の重過失の占める比率は、相当重且つ大といわなければならぬ。そして被告会社の資本が二億円であることは当事者間に争ないところであるから、芳松が東海運送株式会社から得べかりし右推定収入を、死亡に因り失つた損害は、右の過失の程度及び被告会社の右資本額その成立に争のない甲第七号証の記載によつて窺知し得られる岡田澄三郎の無資力を綜合して斟酌し、かつホフマン式計算方法により中間利息を控除し、現在に於て四十五万円であると認めるのが相当である。しかるに成立に争のない甲第一号証の記載によれば原告弘治は芳松の唯一の子であることが認められるから、同原告は三分の二、妻である原告ユキは三分の一の割合で、芳松の被告会社に対する右損害賠償請求権を相続したというべきである。それ故原告弘治は三十万円、原告ユキは十五万円の芳松の被告会社に対する損害賠償請求権を、相続に因つて取得したといわなければならない。

次に慰藉料の額につき判断しよう。原告ユキ本人尋問の結果によれば、原告弘治は芳松の死亡の為、当時高等学校第二学年在学中であり、卒業後は短期大学に入学することを希望して居たけれども、同人が死亡した後は特にあげるような資産収入がない為、家計は苦しくなり、その希望を放棄しなければならなくなつたことが認められる。更に芳松の死亡は焚殺ともいうべき言語に絶する苦痛を伴つたであろうことが推認せられるから、原告弘治同ユキ養父金太郎の悲しみも一入であつたことが窺い得るのであつて、同人等に対する慰藉料は、各十万円を以て相当なりと謂わざるを得ない。そして成立に争のない甲第十号証の記載によれば、金太郎は昭和二十九年三月二十六日死亡し、養子たる原告ユキが同人の地位を承継したことが認められる。それ故被告会社は慰藉料として原告弘治に対し十万円、同ユキに対し金太郎の分を合わせ二十万円を支払うべき義務があるといわなければならない。

そうすると、被告会社は原告弘治に対し合計四十万円、原告ユキに対し合計三十五万円及びこれ等の金額に対する、本件訴状副本が被告会社に送達せられた日の翌日であること記録に照し明な、昭和二十六年十月二十七日から支払ずみに至る迄、民法所定の年五分の遅延損害金の支払義務があるといわねばならぬ。それ故原告等の本訴各請求はその限度に於て、これを認容し、その他の部分は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条但書、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項前段を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 鉅鹿義明)

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